大平宿を舞台にした文学作品や映画などで一番有名なのは山田洋次監督の「隠し剣、鬼の爪」ですが、次いで有名なのは「木枯らし紋次郎」ではないかと思います。1997年出版の「木枯し紋次郎 8 命は一度捨てるもの」 (光文社文庫)の中に「狐火を六つ数えた」という短編が収録されています。その中の大平街道についての記述を引用します。 ※1 時代背景は天保11年か12年(1840年か1841年)と見られる ※2 三州街道とは、伊那街道とも呼ばれ、中山道の塩尻宿から辰野、伊奈、駒ヶ根、飯田と南下し、阿智村、浪合、平谷、根羽の各村、杣路峠を経て三河足助を経由し、岡崎で東海道に合流する。現在の国道153号線はほぼこの道筋をたどっている。 交通の要所としての大平街道が書かれています。 八里(約31キロ)は一日で行けると記されていますが、山道の悪路であればかなり厳しい道のりになります。平地であれば30キロは確かに一日であるけますが。ということで中継宿ができたのが大平宿の一つの目的であったと思われます。中継の宿でしたが、戦時中の「飯田市内では麦を食うが、大平宿では米を食う」と言われるほどの隆盛をほこったと言われます。今に残る建物群の立派さがそれを物語っています。 この大平街道を紋次郎が歩いた感想が以下です。
離村時点での写真などを見ると、大平宿は今に比べてかなり開拓されています。離村当時に唐松を植えて建物を守ったという話もあり、この紋次郎の描写も、木々が生い茂っていないので可能な風景だったのかもしれません。しかしながら「雲海の中に山頂の部分が転々としている」というのは現代の雪の大平街道での登山で感じました。 また本短編のストーリーはかなり陰惨に私は感じます。ちょっと現代の小説では出版をためらう要素があります。木枯らし紋次郎は映像化が多くされていますが、本短編「狐火を六つ数えた」については映像化の際にタイトルや内容もかなり変更になっており、これも大平街道(大平宿)を抜け、飯田に到着したという舞台設定と合致するのでは無いかと思います。本来、山道は怖い物ですがあえて山道について美しく書き、町は安心する物ですが町についてはやや沈鬱に書く、という二面性の対比が起きています。この結果、この大平街道ののどかで美しい描写が、町での陰謀を引き立てているように感じます。 あー趣旨がちょっと違ってきましたが、本書籍の描写によって大平街道の美しさを感じていただければ幸いです。 そして残念ながら「木枯らし紋次郎8」は絶版のようです。電子書籍では読めるようですが。 |
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