宝暦4年 (1754年) 木地師の大蔵五平治、穀商人山田屋新七が大平宿に入り住む 木曽からの5家族合わせ7戸での開梱を開始 宝暦6年 (1756年) 藩の資金により上水路(井戸川)が建設 安永6年 (1777年) 厳しい気候条件により生計が圧迫。木地屋の税を免除の願書を出す 天明元年 (1781年) 大平宿の戸数は22戸となる。 安政3年 (1856年) 宿場町として最盛期を迎え、全28戸180人の人口を数える 明治6年 (1873年) 小八区大平第三番小学正道学校(のちの丸山小学校大平分校)設置 明治29年(1896年) 大平郵便局設置 明治36年(1903年) 丸山小学校大平分校 生徒数が90名を超える 大正9年 (1920年) 大平自動車株式会社による、飯田-木曽線の定期バス運行開始 昭和32年(1957年) 大平郵便局廃止 昭和35年(1960年) 戸数は全盛期の約半数38戸176名まで減少 昭和45年3月9日(1970年) 集落の総意として集団移住の請願書を提出 昭和45年11月30日(1970年) 集団離村 昭和48年(1973年) 中京の開発業者が大平宿での別荘開発に着手 昭和48年(1973年) 上記を受け、大平の自然保護、大平宿の保護のため「マスヤ会」が発足。 開発会社が倒産したことにより、会の目的は果たされ、大平宿の保存活動に移っていく。 昭和51年(1976年) 「マスヤ会」は「大平宿を残す会」に名称変更 昭和54年(1979年) 全国歴史的風土保存連盟・全国町並み保存連盟に加盟 昭和57年(1982年) 大平保存再生協議会発足(大平憲章発足) 平成4年 (1993年) 酒井憲次氏、大蔵正人氏、大蔵幸三氏、大蔵力氏、大蔵国男氏、麦島吉一氏、 深見繁男氏、大蔵久俊氏、岩島章一氏より建物が市に寄贈される。 麦島平吉氏、山際大八郎氏らの協力により再生保存工事が完成する。 平成12年(2000年) 平成大平大火災。下紙屋・深見荘・前沢荘が全焼する。 平成13年(2001年) 深見荘再建工事開始。 平成16年(2004年) 山田洋次監督「隠し剣 鬼の爪」クライマックスシーンのロケが大平宿で行われる。 平成22年(2010年) 大平準都市計画区域指定。長野県景観支援事業。 平成23年(2011年) 大平宿に衛星公衆電話設置。 平成24年(2012年) 「のこす会」県知事賞受賞、新屋取り壊し。 平成28年(2016年) 「のこす会」解散を決議。 |
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